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孝子伝説が彩る養老山麓の名水[エスロンタイムズ101号]

環境省認定名水百選「養老の滝・菊水泉」

 

岐阜県養老郡養老町

 

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観音菩薩のような養老の滝
 
 孝子伝説で知られる「養老の滝・菊水泉」を訪ねて養老鉄道の養老駅に降りたのは、まだ夏の日差しが残る9月中旬のこと。駅前に立つ伝説の主役・源丞内の像に迎えられ、駅前の通りを一つ渡ったところから養老の滝へとつづく坂道を登り始めた。
 その坂道を5分ほど登り、閑静な住宅街を抜けた先にあるのが養老公園の入り口。養老の滝から住宅街にかけて広がる養老山麓に設けられた東西約1800m、南北約600mの都市公園である。
 その公園にある「楽市楽座・養老」(郷土料理や地ビールなどの店がある)と遊園地(養老ランド)の間を抜け、松風橋の手前から養老の滝につづく滝谷川沿いの道に入り、木立の道を登りつづけること約20分。川が渓谷となり、渓谷が深まった先に名瀑・養老の滝が姿をあらわした(上の写真)。
 そこから滝壷までが急な登り坂。ほんのわずかな距離なのだが、日頃の不摂生が響き『養老神社から観光リフトに乗るのであった』との後悔が犬のような息遣いにまじる。
 やっとのこと登り切り、滝壷から見る養老の滝は、落差約30mとは到底思えないほど雄渾で、しかもどことなく観音菩薩像を思わせる優しい姿。水音響く滝壷の淵にたむろして、いつまでも立ち去りがたく留まる人々の気持ちがわかる気がした。
 
 
秋海棠の花に埋もれる菊水泉
 
 養老の滝から万代橋まで戻ったところで橋を渡り、往路とは異なる対岸の道を下りながら菊水泉がある養老神社へ。
 観光リフトの乗り場を横目に裏門から源丞内ゆかりの境内に。古くは菊理媛命を祀り、平安時代の美濃の国神明帳に養老明神と記されているという歴史ある神社で、奈良時代の人である源丞内はこの地(源丞内の当時、まだ社がなかったとか)で孝子の水を酌んだといわれている。
 その孝子の水が社殿の脇にある「菊水霊泉」。社殿の石垣を下って泉に回ると、山里に秋の訪れを告げる秋海棠の花に埋もれた泉の水が、夏の名残の日差しをうけてキラキラと輝いていた(下の写真)。

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 だが、名水百選をめぐる旅の楽しみは風物とともに水を酌み、味わうこと。泉の水がいかに澄明で魅力的でも、石の柵と七五三縄を巡らせた結界の内に入ってまで水を酌むことはできない。
 これなら昔、菊水泉と一つの流れであったという養老の滝の辺りで呑むのであったと思いつつ社殿の前の細く長い石段を下りかかると、石段下の道脇に水を酌む人の姿が。やれ嬉しゃと、その場でパチリと1枚写したのが下の写真。

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 その菊水泉の水汲み場で竹筒から流れ落ちる水を呑むと、やわらかな味。さすがに酒の味はしなかったが、甘露の水が山道の疲れをさっぱり溶かしてくれた。
 この菊水泉など養老山地の水は炭酸分やミネラルを含んでいるとのことで、酒の味はせずともいたって健康に良いそうである。
 
 
孝子の噂に惹かれ女帝も……
 
 菊水泉からの戻り道に選んだのは、土産物屋が軒を連ねる道。木立に覆われた往路と打って変わった賑やかさで、さてはこちらが本来の参詣道であったのかと思いつつ、滝谷川にかかる不動橋まで下ってくると、脇道に「養老孝子 源丞内の墓」と大書きした何本もの幟。

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 その幟の奥にある源丞内の石塔に詣で、その昔、奈良の都にまで噂が届き、元正女帝のお耳にまで達したという孝子の逸話(親孝行な樵の源丞内が山奥で山吹色の酒の匂いと味がする水を見つけ、その水を酌んで老父に呑ませたところ、老父の白髪は黒くなり、顔のしわもとれて若々しくなった)に思いを馳せた。
 また、その話に心打たれた元正天皇(奈良時代の女帝)が養老の地に行幸され、数日留まって自ら沐浴して美肌効果などの効用を確かめたのち「霊泉は美泉なり。もって老を養うべし。けだし水の精なればなり。天下に大赦して霊亀3年を改め、養老元年(西暦717年)となすべし」との詔を発して元号を養老に改められたと続日本紀にある。
 その孝子の墓があるのが、源丞内が開いたという養老寺。
 天平の頃には七堂伽藍が整い、多芸七坊の一つに数えられていたというが、織田信長の焼き打ちにあって今は不動堂などがあるのみ。それでも不老長寿祈願の寺として地元の信仰を集めているらしく、その日も本堂で行われている講話の声が静かな境内に木霊していた。

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