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泉神社湧水[エスロンタイムズ93号]

環境省認定名水百選「泉神社湧水」

滋賀県坂田郡伊吹町(現米原市)大清水

 

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薬草とお花畑の伊吹山
 
 天下分け目の合戦で名高い関ヶ原の北側に滋賀県下の最高峰標高1,377mの伊吹山がある。
 豊臣秀吉ゆかりの長浜からみれば東の方角。琵琶湖と伊吹山の間に姉川が流れ、岐阜県との県境に沿って伊吹山ドライブウェイが通っているといえば、この山をご存じない方にもおよその土地柄を分かっていただけるだろうか。
 そう。米原から東京に向かって走る新幹線の列車が関ヶ原にさしかかるころ、左側の車窓に映る男性的な山。露出した石灰岩のために山肌が白く抉られて見えるあの山が、日本百名山の一つにも数えられている伊吹山なのです。
 この伊吹山は、古くは古事記や日本書紀に膽吹山、五十葺山、伊富喜山などと記され、日本武尊の伝承にも登場するほど昔から人の目を惹きつけ、何かを感じさせる威厳に満ちた姿をしている。
 また、百人一首にもある藤原實方朝臣の恋歌「かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしもしらじな もゆる思いを」(後拾遺集)でもわかるように古くから薬草の宝庫としても知られていたところ。
 現在でも伊吹山には約1,200種の高山植物が分布しているといわれ、なかでも標高1,200mから1,350mの辺りは7月下旬から8月中旬にかけての頃、多くの花々が咲き乱れるお花畑となってこの山を訪れる人の目を楽しませてくれる。
 この伊吹山の頂上へは伊吹山ドライブウェイの山頂駐車場から三本の登山道を辿るのが楽なのだが、麓から途中までロープウェイを使って登ることもでき、汗を流したあとに可憐な花と花に舞う数々の珍しい蝶を眺めるのもいい。
 

<伊吹山(遠景)と名水の里・大清水>

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伊吹山山麓の甘露
 
 この伊吹山の南の麓。伊吹山と関ヶ原の間にあるのが名水の里・大清水(滋賀県坂田郡伊吹町大清水)。
 その里のシンボルになっているのが「泉神社湧水」で、昭和60年に環境庁が認定した名水百選の一つに選ばれている。
 北国街道からつづく古い参道を登ると、一際小高い山があって参道沿いの鳥居の前の水汲み場に容器を手にした多くの人々が隙間もなく並んでいた。聞けば地元ばかりか名古屋の辺りからも名水を汲みに来る人が耐えないそうである。
 

<名水を汲む人で賑わう泉神社湧水>

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 その人達の動きをみていると、瞬く間に水が溢れる容器を幾つも取換えては車に積み込んで戻る人があれば、その後にまた容器を抱えた人が座り込むといった具合で、この水の人気の高さがうかがえた。
 源泉はどこかと鳥居を潜ると、目の前に社殿へとつづく急な石段。その石段の右手に神社の森の奥から滔々と音をたてて流れる名水の小さな滝のような落ち口があり、境内の外の水路に導かれていた。
 

<泉神社湧水の小さな滝のような落ち口>

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 鳥居の前の水汲み場は、この落ち口から塩ビパイプで導いた水を汲む仕組みになっていた。
 早速、滝の水を汲み、口に含む。
 伊吹山麓に源を発し、石灰岩の地層を流れて湧き水となった水はミネラルが豊富だというが、鈍感そのものの舌には何の味もしない。いわゆる無味無臭の甘露という奴。いつものことだが、何の味もしないことが嬉しい。
 
 
日本武尊の居醒水
 
 境内の立て札にある泉神社社伝によると、この水は、天智天皇の頃、弓馬操練の地であった山野に天泉が湧きだし、その水が清冽であったので天泉所と称し、ここに素戔嗚尊、大己貴命の二柱を産土神として祀ったのが神社の縁起とのこと。
 また、古くは日本武尊が伊吹山の蝦夷征伐の際、毒の霧にあてられて意識朦朧たる状態になった時、その毒を払った「居醒水」だという。
 人が生きるのに欠かせない水。その大切な水を求め、絶えることのない水の源を見つけた時の歓び。古代の人達が、その歓びを信仰にまで高めた軌跡を窺わせる社殿の文字に見入るうち、弓馬の訓練に汗し、咽を乾かせた兵士達が嬉々とした顔で滝の落ち口に集い、何やら騒めかしく立ち振舞っているような幻が浮かんだ。
 それほど古くから流れ落ちる冷水(水温11度)の湧出量は今でも日量4,500トン。何人もの人が列をなして汲む容器がすぐに満たされるわけである。
 滝の落ち口から水路に流れた水は、古来から貴重な農業用水。伊吹山の扇状地であるこの辺りでは表流水はすぐに地下に浸透するだけに、この湧水がなければ農業が成り立たないほど大切な水であったという。

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