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エスロンパイプの
“根っ子” を探して

第2部 エスロンパイプ70年の足跡

2-1_日本初の塩ビ管量産に成功した京都工場
日本初の塩ビ管量産に成功した京都工場

我が国初の量産化とエスロンパイプの誕生

1952年10月、京都の町中を走る国道1号線沿いとはいえ、周りの空き地は雑草に覆われ、その茂みに狐が出没する頃の、古色蒼然たる木造建築物に過ぎなかった京都工場(日本冶金の工場を買い取って1952年8月に開設。現・京都研究所は沢口靖子さん主演のTVドラマ「科捜研の女」の舞台でお馴染みの建物)に集まった男たちが見守る中、奈良の京終工場から移設されたばかりの日産500kgの硬質塩化ビニル管製造ライン(ウインザーの2軸押出機1台と池貝の30mm直流押出機2台)が心地よい音を立てて動き始めました。我が国初の硬質塩化ビニル管量産化成功。エスロンパイプ誕生の瞬間です。

お馴染み、エスロンパイプの語源について

さて商品名をどうするかということで社内募集を行い、その結果決まったのが須田 一男提案(当時京都工場長。のちに専務取締役)の「エスロンパイプ」です。
今では硬質塩化ビニル管の代名詞と言われるほどに馴染み深いエスロンパイプ。そのネーミングの由来について須田は、「プラスチック製品にはナイロンやテトロンのようにロンのつくものが多いやろ。
そのロンに化学的な意味はないんやけど、しなやかで強靭な印象があるのや」と話していました。
すなわち積水化学の『エス』とナイロンやビニロンなどでお馴染みの『ロン』の合成語が「エスロン」の語源。 最初は『S-LON』という英文表記でしたが、来るべき海外展開に備えてエスロンと発音できる『ESLON』を英文表記と定めたのです。

七つ道具を抱えて全国行脚の旅

ここからが本当の闘い。パイオニアに付き物の悩みとはいえ、硬質塩化ビニル管の存在が世間に知られていない中で日々売らなければなりません。
なにしろ受注生産時代の生産量は月に3トン弱。硬質塩化ビニル管製造ラインが動き始めたその瞬間から一気に5~6倍の製品が出来上がってくるのです。売らなければ在庫の山。まさに伸るか反るかの社運を賭した大事業でした。
当時の硬質塩化ビニル管用途を大別すると、化学工場、水道管、電線保護管の3つで、いずれも鉄との競合を強いられる分野でした。
まず、戦時下のドイツに倣い、化学工場に目標を定めました。
腐食性化学薬品にはステンレス、鉛、陶器管などが使われていたのですが、欠点もあり高価でもありました。
エスロンパイプは強さとともに価格も安いので自信を持って売り込みにかかったのですが、使われる側から見れば硬質塩化ビニル管は全く未知のもの。簡単ではありませんでした。
一方、1953年6月に月産50トンの生産設備が完成。さらに9月、3台のウインザー機を入れて設備を増強するとともに、販売を強化するために技術サービス課を設けました。
その技術サービス担当が、硬質塩化ビニル管のサンプルやPR映画「時代の花形エスロンパイプ」を抱え、夜を日に継いで全国を駆け巡りました。
「ペっちゃんこにならないの?」
「どうやってパイプ同士をくっつけるの?」
そういった問いに応え、“七つ道具”(サンプルの硬質塩化ビニル管、のこぎり、トーチランプ、接着剤など)を取り出して接合実演を行いました。
やがて試験配管の実施例(水道管分野では1953年初め頃から各地の簡易水道に一部使用されていました)が増え、増える度にエスロンパイプの優秀さが証明されました。
そして本格操業開始から1年後の1953年10月、広島市水道局の公認が得られたのを皮切りに伊勢崎市、松山市、奈良市。さらに1954年12月、東京都水道局の製造業者指定を得られたことで弾みがつき水道用硬質塩化ビニル管は勃興期を迎えます。

熱間工法から冷間工法への転換

この結果、1954年初に50トンであった生産量は年末になると100トンまで増えたのですが、硬質塩化ビニル管の普及拡大をはかるのにはまだまだ越えなければならないハードルがありました。それが硬質塩化ビニル管の規格化と射出成形継手の開発です。
今から思うと嘘のような話ですが、初期の頃の硬質塩化ビニル管施工にあっては現場にトーチランプを持ち込み、その熱で硬質塩化ビニル管の一端を温め、そこにもう一つの硬質塩化ビニル管の端を押し込んで受け口や曲がり管を拵えるという「熱間工法」が行われていたのです。
「パイプの規格や継手が整わなければ管路としての施工性、安全性に課題が残る」
そう考えた積水化学は東京都水道局と力を合わせて規格化に取り組み、継手の射出成形技術の完成に総力を注ぎました。
この時、大きな壁となって立ちはだかったのが東京都が塩ビ継手採用の条件としてあげられた「可塑剤ゼロ」の課題。
なにが問題なのかといいますと、硬質塩化ビニル管の普及を進めるには東京都の課題を克服して可塑剤をまったく含まない継手を開発生産しなければならないのですが、その当時、可塑剤を使わない射出成形(硬質塩化ビニル管そのものは押出成形で今も昔も可塑剤ゼロ)の技術がなかったのです。
可塑剤は塩ビ樹脂に柔軟性をもたせるもので、どの文献を漁ってみても塩ビ(軟質塩ビ)の射出成形には可塑剤を用いるとしか書かれていませんでした。
その、いわば混ぜることが当然の可塑剤を使わないで射出成形しなければならないのですが、この壁が突破できずに悪戦苦闘の連続。
五里霧中の状態で樹脂の配合を京都工場、成形技術開発は東京工場が担当して可塑剤ゼロの継手づくりと取り組み続けたのですが、その度に樹脂が焦げ付き、射出成形機を分解清掃する日々が続きました。
その中で積水化学技術陣が見つけ出した答えが『予熱』するということ。
射出成形機の脇に押出機を設置し、その押出機から塩ビ樹脂を供給するという方法により待望の継手(TS継手)の射出成形に成功(1955年。熱間工法に対して冷間工法と呼ぶ接着接合方式の誕生)。
一般用硬質塩化ビニル管のJIS規格が制定(1956年)された翌年、販売実績は600トンと大幅に伸びたのです。
ここで射出成形と押出成形の違いについて簡単に説明しますと、射出成形は金型内に樹脂を充填、冷却して製品とするもので、金型から取り出したのちも形が崩れないようにするため可塑剤(可塑とは固体に弾性限界を越える変形を与えたとき、力を取り去っても歪みがそのまま残る性質)を樹脂に混入するのが一般的です。
これに対し押出成形は金型部分を通過して連続的に押出しますので、金型部分で止まることも冷却することもありません。
つまり、フィッシャー技師長が硬質塩化ビニル管を紹介するまで、積水化学でもパイプ状に連続押出したものを切り開いて軟質塩ビシートとし、鞄の材料などに利用するつもりだったのです。

諸君、喜べ ! 大手が塩ビにやってくる。

1953年、大手他社が硬質塩化ビニル管の製造に参入するとの報道がありました。
2社ともパイプを専門とするメーカーで、その頃の積水化学とは比べものにならないほどの企業規模にひるむ社員を集めた社長の上野が、
「諸君! 喜びたまえ。大手2社が硬質塩化ビニル管の企業化を計画しているとの報道があった。これで硬質塩化ビニル管が本物であることが改めて証明された。さらに積水化学は彼らに1歩も2歩も先んじている。前途は極めて有望である」と、声高らかに宣言したのです。
萎縮していた社員達はどよめき奮い立ちました。
最先発のパイオニア、積水化学があらゆる点で硬質塩化ビニル管業界をリードしていること。それは誰の目にも明らかだったのです。

滋賀栗東工場(1962年頃)
滋賀栗東工場(1962年頃)

硬質塩化ビニル管・継手JIS原案誕生異聞

1955年、硬質塩化ビニル管・継手のJIS規格制定委員会が結成され、メーカー側委員会(委員長=東京農工大A教授と他2社)で原案作成に取り組むことになりました。すでにパイプ金型を有する3社のうち積水化学と1社は同サイズ、もう1社はドイツ規格(DIN)に準じていました。
当然意見は対立。DIN規格の会社の委員はドイツの文献に基づいて論じ、積水化学の委員はもっぱら自らの手で実施した実験データによって対抗しました。
委員会を何回か重ねたのちA教授が「DIN規格の会社の委員さんは主に文献によって主張されたもので、積水さんともう1社さんは実験データに基づいて主張されました。委員長としては積水ともう1社さんの案をメーカー原案として採用いたします」と結論を出されました。
これが硬質塩化ビニル管(一般管と呼ぶ)のJIS原案誕生の小さくて大きな一場面です。
この硬質塩化ビニル管のJIS化に続き、電線管の分野では1955年12月に改正された通産省の電気工作物規定により硬質塩化ビニル管が正式に制定され、水道管のJIS化も進みました。
さらに硬質塩化ビニル管のサイズの拡大や接続法や継手の改良等が図られてエスロンパイプは民需から官需へと大きく市場を拡げ、まさに業界のリーダーとして発展することになったのです。
これで積水化学が社運を賭けて挑んだ硬質塩化ビニル管事業の基礎が整いました。
1957年、平城宮跡の一郭に新たに奈良工場を建設して463オンスの射出成形機21台を据え付け、世界有数のプラスチック成形工場を持つこともできました。
1957年に雨といやポリバケツ、1959年に発泡プラスチックの企業化。1960年にはパイプ事業の中核となる滋賀栗東工場、中間膜の生産拠点となる滋賀水口工場を建設しました。

日本経済新聞-昭和44年5月30日号掲載
日本経済新聞 昭和44年5月30日号掲載
世界最大700mmの塩ビ管
世界最大700mmの塩ビ管

富士の裾野や大阪万博と硬質塩化ビニル管

1964年に水道用硬質塩化ビニル管・継手の日本水道協会規格が制定されたのに続いて、1967年に建物排水管の空調学会規格が制定され、硬質塩化ビニル管の中大口径化の道が開かれることになりました。
硬質塩化ビニル管協会プロジェクトとして富士山麓で大規模な硬質塩化ビニル管地中埋設実験を行い、水道事業担当者から寄せられる道路下埋設の不安解消に努めたのもこの頃(1967年)のことです。
また、硬質塩化ビニル管の歴史を語るうえで忘れられない出来事の一つが1970年3月から9月にかけて大阪・千里丘陵で開催された万国博覧会。
「万博と硬質塩化ビニル管?」そう首をかしげる方もあるでしょうが、実はその330haに及ぶ広大な敷地の上水道建設の400mm以下の水道管すべてに硬質塩化ビニル管(その70%がエスロンパイプ)が採用(地盤ひずみに耐え、迷走電流にも電食されない硬質塩化ビニル管の利点が決め手)され、中大口径硬質塩化ビニル管の存在と実用性の高さを広く世に知らしめるとともに、その施工を通じて得た経験からラバーリング工法の開発などと取り組むことになったのです。
これらはパイオニアの苦労が報われた結果であり、こののちさらに多くの分野に数多のセキスイ製品(新しいところでは積水メディカルの血液凝固自動分析装置など)を送りだすことになるのですが、本稿は積水化学75年の歴史とともにエスロンパイプ70年の物語でもあります。
ここからは押出機の大型化を追い求める中で誕生した世界最大700mmの硬質塩化ビニル管(1971年、石油会社の廃油処理や東京都の試験採用)から形状記憶硬質塩化ビニル管、「エスロンパイプ・+(プラス)VU、VP、VM、SRA、 SRB」(硬質塩化ビニル管の反りは管表面の蓄熱による熱変形で、反りを防止するには高い気温の中でも蓄熱を最小限に抑えることがポイント)、エスロンコンパクト雨水マス・雨水浸透マスなどの開発まで、エスロンパイプの轍に絞って話を進めさせていただきます。

大阪市交通局でのエスロンHTLP施工
大阪市交通局でのエスロンHTLP施工

エスロンHTLPの開発と瞬間湯沸かし器

硬質塩化ビニル管についても樹脂の研究を重ねた結果、1960年代に入って原料の塩ビ樹脂に改質材を添加して耐衝撃性を高めたエスロンHIパイプの開発に成功。水道配管はもとよりビルの給排水管や電線管、また寒冷地などでの使用に大きな支持を得ていました。
また、高温時の機械的強度を高めるべく耐熱性を付与したエスロンHTパイプを開発。これによって温水配管への道を切り拓こうとしていたのですが、そこで思わぬ事態に遭遇することになりました。
すなわち配合の研究を重ねに重ねることで、脆くなる、成形性が悪くなるなどの問題点を克服した塩素化塩ビ(特殊塩化ビニル重合体を塩素化することにより、塩化ビニル重合体の優れた性能を損なうことなく、耐熱性を向上させた塩素化塩化ビニル重合体)によって耐熱性が約95℃(その当時の汎用硬質塩化ビニル管より軟化温度が15℃ほど高い)まで上がったはずのHTパイプが瞬間湯沸器の高温に耐え切れないとのクレームが舞い込んだのです。
調べてみると、当時の瞬間湯沸器の瞬間的な最高温度がJISの定める97℃を大きく上回り、110℃くらいまで上がっていることがわかりました。
瞬間湯沸器のメーカーがサーモトップを取り付けるなど、改良を施してくれればクレームはなくなるのですが、鋼管なら問題のないなかで硬質塩化ビニル管のためにコストアップにつながる改良を承知してくれる瞬間湯沸器のメーカーはありません。このままでは給湯管としての需要を失いかねません。
そこで、この「瞬間110℃耐熱」の想定で開発したのが、耐熱性塩化ビニルライニング鋼管エスロンHTLP(1975年)です。
エスロンLPの技術(硬質塩化ビニル管の復元性に着目して開発したもので、鋼管の内径よりも少し小さくなるように絞って冷却した硬質塩化ビニル管を特殊接着剤を内面に塗布した鋼管に挿入したのち鋼管を熱して硬質塩化ビニル管を復元、密着させる技術)をベースに研究を続けてきた建築用管分野での開発が、樹脂の進化とともに大きな実を結びはじめたのです。

大盛況の温水配管セミナーと反省

そのエスロンHTLPに続いて1980年に耐熱性樹脂コーティング鋼管エスロンHTCPが誕生。翌1981年になると、ライニング鋼管の赤水対策としてエスロンHTLP・NS継手を需要家の皆様に送り届けることができました。
これらの温水配管材は、鋼管や銅管の孔食、潰食、エロージョン、コロージョンなどに悩まされてきた病院やホテルなどに喜ばれ、1983年の福岡市での開催を皮切りに1986年まで全国51箇所で開催した「温水配管技術セミナー」には、なんと延べ1万人を越える受講者が詰めかける盛況ぶり。
埋め尽くされた会場を目の当たりにして開発の喜びを味わうと同時に「腐食問題がこれほどまで深刻化する前に完成するべきであった」と、積水化学の社員一同うなずきあって反省したものです。

ライニング鋼管を相次いで投入

温水配管材の開発とあわせ、研究を進めていたのが1980年に発売した建物排水用塩化ビニルライニング鋼管エスロンDVLP。
塩化ビニルライニング鋼管のシリーズ第三弾です。
このエスロンDVLPは、それまでの鋳鉄管や石綿二層管に比べ、軽くて施工しやすく耐食性に優れていましたので1983年、東京消防庁の床壁貫通認可を得るや爆発的に需要が拡大しました。
塩化ビニルライニング鋼管シリーズはこの後、1981年に水道用内外面塩化ビニルライニング鋼管エスロンWVLP、1982年にガス外面塩化ビニルライニング鋼管エスロンSGP。1983年に内外面耐熱性塩化ビニルライニング鋼管エスロンWHTLP、1988年に地中埋設消火管用のエスロン外防VSと続くことになります。
また銅管などのフレキシブル性を有する製品として金属強化ポリエチレン管スーパーエスロメタックスにつながる一連の開発によってファンコイルユニット回りの施工性向上に大きく貢献する一方、架橋ポリエチレン管によるさや管ヘッダー工法の提案普及にもつとめてきました。
またライニング鋼管と同じ複合化製品の一つにエスロンVPFW、エスロンHTFWがあります。これは硬質塩化ビニル管の外周をFRPで強化したパイプで、VPパイプを使用したVPFWはプラント使用圧力と温度に応じてSTタイプとEXタイプ。プラントHTパイプを使用したHTFWは薬液に応じてT-17タイプがあります。

エスロンDVLP2
エスロンDVLP

建物配管のオール樹脂化に弾み

平成の時代を迎えてからも新製品の開発が続き、独立行政法人都市再生機構との共同研究により様々な実験検証を行い、自信を持って建築市場に投入した水道用耐震型高性能ポリエチレン管「エスロハイパーAW」(建物の敷地内配管から給水立て管を含めメーター部まで使える)やエスロン単管式排水システム用として流量特性を高めた「ADスリム継手」。
また建物用耐火性硬質塩化ビニル管「エスロン耐火VPパイプ・耐火DV継手」などの大きな製品開発が続きました。
エスロン耐火VPパイプは三層構造からなる硬質塩化ビニル管で、内外面の硬質塩化ビニル層と高温になると大きく膨張し断熱・耐火層を形成する特殊配合の中間層からなる業界初の耐火性プラスチック管であり、耐火DV継手にも独自の燃焼遅延配合を採用しています。
耐火VPパイプと耐火DV継手を組み合わせて使用することにより、耐火被覆処理などを施さなくてもプラスチック管のみで火災時の延焼を防ぐ画期的な硬質塩化ビニル管材であり、また、新たな認定・評定の取得によりエスロンADスリム継手の立て管・横枝管への接続も可能となり、ますます適用範囲が広がりました。
最近でなら2019年に耐火プラAD継手の耐食性をそのままに遮音性、施工性の向上を実現した耐火プラAD継手HG・SG。2020年には耐火プラAD継手HG最下層タイプと耐火プラ脚部を発売することにより立て管から横主管までのオールプラスチック化を完遂させました。
さらにリサイクル塩ビを中間の発泡層に用いたエスロン発泡三層パイプ(使用済みの硬質塩化ビニル管を再び原料化して使用。環境と共存する建物排水、通気用のエコロジーパイプ)など環境に配慮した製品開発とも取り組むとともに、近年増加してきた都市型水害・道路冠水対策として地下埋設型雨水貯留・浸透・利用システム「エスロン レインステーション」(道路下や公園などの公共スペースから宅地内まで、規模を問わず設置可能)、 防災貯留型トイレシステム(災害用マンホールトイレ貯留型)といった製品・システムも開発提供しています。

下水道製品発表会
下水道製品発表会

硬質塩化ビニル管、下水道分野に進出

時代は大きく遡って1960年代を迎えた頃、「硬質塩化ビニル管が下水道建設にも役立てるのでは」との声が積水化学社内で高まりました。
あとから思うと何とも不思議な話なのですが、1950年代の硬質塩化ビニル管は敷地内排水管に売り込むくらいで、下水道本管に使ってもらうという発想がどこにもなかったのです。
時あたかも国の下水道整備事業が本格化しはじめた頃のことで、その管路建設の一翼を担うべく積水化学では下水道用硬質塩化ビニル管の調査研究に着手。
1968年度の建設省の下水道整備事業に3兆円の予算がつく中で、1969年、広島市など各都市公共下水道での試験配管を行い、好評を博しました。
その結果を踏まえて1971年、下水道用硬質塩化ビニル管と継手(TS接合、他にゴム輪接合も)を硬質塩化ビニル管他社に先駆けて本格発売することができたのです。
また、その発売にあわせて全国の役所、ゼネコン、設計コンサルの方々を対象とした講習会「下水道製品発表会」を実施。
どこの会場にも200~300人の方々が詰めかけてくださる大盛況となり、下水道用硬質塩化ビニル管への期待と関心の高さを肌身に感じる結果となりました。
その1971年、東京都が呼び径700mmの下水道用エスロンパイプを約160mにわたって試験施工されるなどのモニュメントもありました。
この頃、積水化学の下水製品売上高は約15億円(1972年度)となり、一躍内外の注目を集めるところとなったのです。

下水道協会規格制定と差別化

このような経過を辿って硬質塩化ビニル管が本格的に下水道に使われるようになると、「道路下に埋設しても大丈夫?」や「潰れないか?」との懸念に改めて応える必要が生じ、硬質塩化ビニル管業界をあげての評価・実験を行った結果、むしろヒューム管よりも高性能であるということが明らかになりました。
それらの努力が実って1974年、硬質塩化ビニル管の下水道協会規格JSWAS-K1が制定(この時、同時に下水道用強化プラスチック複合管の規格も誕生)され、他の硬質塩化ビニル管メーカーの下水道分野参入が相次ぐことになったのです。
その参入自体は硬質塩化ビニル管普及促進にとってプラスでしたが、そのマイナス面としての価格競争もあり、「なにか管に特性を付与して他社との差別化をはかるべし」との方針がとられることになりました。

エスロン-プラスチックリブパイプ
エスロン プラスチックリブパイプ

海外技術導入でリードタイム短縮

強化プラスチック複合管エスロンRCPと同様、省資源型パイプの一つとして位置づけられるのが高剛性管エスロンHRパイプ(1981年)。
このHRパイプは、オランダ・ワービン社の技術をもとに開発したもので、パイプの剛性を左右するのが管の肉厚であることに着目。管の肉厚部を貫通する孔を設けたもので、そのHRパイプの開発が、それと同様の高剛性化をまったく別の方法で実現した下水道用リブ付き硬質塩化ビニル管「エスロン プラスチックリブパイプ」(1990年)へとつながりました。
そのリブパイプは、硬質塩化ビニル管の外側に連続的に円形の鍔をはめたような形状から「一体どのような製造工程から生み出されるの?」と誰もが不思議に思う製品で、フィンランドのウポノール社の技術をもとに開発したものです。
このリブパイプやHRパイプにみられるような海外からの技術導入は、開発から発売までのリードタイムを短縮することで国を挙げての下水道整備事業にタイムリーな製品を供給し役立ちたいとの思いの結果でもあります。
もちろん海外技術の導入といっても、その製品発売までの道程は平坦なものばかりではありません。

リブロック工法
リブロック工法

リブロックから生まれたSPR工法

例えば通水状態のままでも下水道などの老朽管更生を行うことができるなど、類い稀な特長を持つことで知られるSPR工法もその一つです。
SPR工法はオーストラリアのリブロック・システムズ社から技術導入(1984年)した「リブロック」が元になっているのですが、現地のゴルフ場のような場所での水抜き、雨水排水管などに使われていたものを今のような下水あるいは農水の更生工法に育てるまでには想像を絶する時間と労力を要しました。
それは海外と国内の管に対する考え方の違い、規格の違いに起因するもので、こちらでは薄肉大口径管の特長を活かして工場のダクト管や建物内の連通管への展開を目指したのですが、そこでも決定打がないまま、いつしか老朽管路更生の必要性が声高に叫ばれる時代を迎えるまでになりました。
そのような頃の1985年、リブロックという現場製管技術の存在を知った横浜市の担当者から「合流式から分流式に変更するのだが、その既設管内(800mm)に250mmの管を勾配配管できないか」とのお問い合わせがあり、引き受けることになったのです。とはいえ、その頃の製管方式は元押式のみ。
滋賀栗東工場にあったダクト管用のなんとも嵩高い製管機を横浜市内の現場に運び込み、立孔に据え付けて現在のSPR工法の原型ともいえる日本初のリブロックによる管路更生工事を行なったのです。
いわば長く遠い回り道の末、リブロック本来の持ち味である円筒管製管の原点に立ち戻ることになったわけで、人孔内に設置できる小型製管機の開発など管路更生用途に向けて積水化学が舵を切りはじめた折りも折り、東京都主催による非開削・通水状態での施工を前提とした管路更生工法の公開コンペがありました。
ここで高い評価を得たことが転機となって1986年6月、積水化学、東京都の外郭団体TGS、金属製ダクト管でコンペに参加していた足立建設工業の異業種3社連合による開発プロジェクト「下水道管きょの更生技術の共同研究」を進めることになました。
36年を過ぎた今も継続しているそのプロジェクトが日本SPR工法協会の発足につながり、SPR工法発展の原動力となったことはいうまでもありません。
SPR工法の進化は目覚ましく、プロファイルの製造工程でスチールを嵌合して剛性を高めた工法や元押式から進化した自走式製管機を開発。今では自走式、自由断面(円形、矩形、馬蹄形、背割り管、卵形管)、超大断面(5000×5000mm。非円形では6000mmまで)、長距離施工(ワンスパン1km)などに対応できます。 これらの特性が海外でも高く評価され、米国での施工を皮切りに実績を伸ばしています。

近畿郵政局女子寮・社宅震災復興に使用されたエスロンハイスイマス
近畿郵政局女子寮・社宅震災復興に使用された
エスロンハイスイマス

マス開発で大型インジェクション技術に磨き

下水道用硬質塩化ビニル管の歴史の中で忘れられないのがマスの開発。
ブンリシマス(1985年)を皮切りにマス群(ハイスイマス= 1986年、コーキョーマス=1987年、サイクロンマス=1988年)の開発が一気に加速。その後もマス群の品揃えに邁進するとともにエスロンカンイホールHG(1993年)、エスロンプラスチックマンホール(1994年)を追加することで硬質塩化ビニル管のパイオニアたるにふさわしい品揃えが実現しました。
実のところ硬質塩化ビニル管のマスといえるものを日本で初めて製造提供したのは積水化学。
岩見沢工場で製造して北海道内の硬質塩化ビニル管路布設に採用してもらったのが最初なのですが、その時のマスは殆どハンドメイドといえるもので、岩見沢のモノづくり名人といわれた男が硬質塩化ビニル管を加工してつくりあげたものでした。
その評判は極めて良く、硬質塩化ビニル製マスの量産化を求める声が北海道を中心に高まったのですが、なにしろ需要の絶対量が少ない当時の情勢下では究極の多品種少量商品。
量産化を躊躇っているうちに遅れをとり、金型の特許・意匠を押さえ込んだ先発2社のパテント戦略をかいくぐっての開発に苦労する一幕もあったのです。
だが、その苦労が当時すでに他社を凌駕していた大型インジェクション成形技術にさらなる磨きをかける結果につながり、マスの充実につながるとともに、のちのバルブ開発(PVDF樹脂を用いたプラスチックバルブを1987年に。PPS樹脂によるバルブを1993年に相次いで開発)で大いに活かされることなりました。

ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの敷地内水道配管
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの敷地内水道配管

ポリエチレン管開発の道程

また、パイプ開発の目を硬質塩化ビニル以外の樹脂にも向け、1983年に給水給湯用の架橋ポリエチレン管エスロペックス、1988年に耐クリープ特性を高めたエスロンPE二層管を発売。
このポリエチレン化の方向は、阪神淡路大震災という未曾有の都市型災害を契機に一気に加速することになります。
その頃、すでにガス用ポリエチレン管の開発(1975年)に成功。ガス会社での採用が進み始めていましたので「地震による地盤変動に極めて強い、この技術を水道用パイプに応用できないか」、「海外にはポリエチレンを使っている国が多くある。日本でもポリエチレンでいけるはず」と考え、水道用への展開を模索していました。
ただ、その確信はあっても国内の水道事業者の皆様の間に昔のクリープ問題によるポリエチレンアレルギーが根強く残っていて、この壁を突破するのは容易でないように思われたのです。
日進月歩するテクノロジーは、昔に問題を起こした樹脂の世代を遥かに上回る高性能なポリエチレン樹脂を生み出している。この樹脂を用いてパイプをつくり、融着接合を行うなら地震に負けないライフラインが構築できるのだが‥‥」
そう思っているところに1995年1月17日の早朝、あの阪神淡路大震災が起きたのです。
被害の大きさが次第に明らかになる中で積水化学は、EF接合(電熱溶着接合)により管路を一体化できる水道用ポリエチレン管実用化の決意を固めたのです。
技術的な準備は整っていました。
それだけに製品化への対応は早く、山口県防府市での試験施工を行ったあと、震災の翌年に水道用高性能ポリエチレン管エスロハイパーPE(のちにエスロハイパーJW)を本格発売することができたのです。
そして、あのユニバーサル・スタジオ・ジャパン(2001年3月オープン)の敷地内水道配管に全面採用などの実績を経てエスロハイパーの普及が進み、水道用硬質塩化ビニル管が抱えていた大口径化の壁まで押し広げることができたのです。
さらに建築分野の給水配管(立管)用や消化設備配管用としてエスロハイパーAWを展開。
加えて水道用耐震型高性能ポリエチレン管エスロハイパーの特長はそのままに最高許容圧力1.6MPaに対応し、高層給水管としても使用できる高圧型の給水用耐震型高性能ポリエチレン管エスロハイパーAW HPも皆様のお手元にお届けしています。
PE管には前出の通り高耐熱ポリエチレン管(内面)と金属(アルミニウム)の複合化に取り組んだ給湯冷温水配管用スーパーエスロメタックスや、山間地の傾斜に沿って流すことができる急傾斜下水道システムの管路配管として多くの現場で使われてきた下水道用のポリエチレン管もあります。
空調配管用として開発した高性能ポリエチレン管クウチョウハイパーCHは、冷温水用途に最適のポリエチレン管で、冷温水枝管のスーパーエスロメタックスFCや冷却水管のエスロハイパーAWなどと組み合わせることによりオールプラスチックの一体化ラインを構築します。
新しいところではエスロハイパーAWを用いた「サイフォン式雨水排水システム(アウトレットにより空気の流入を抑制しサイフォンを誘発、満管状態で雨水を排水)を開発発売し、立て管サイズ50mmで許容最大屋根面積を240㎡まで拡大しています。

ポートアイランドでの採用
ポートアイランドでの採用

ポートアイランドと強化プラスチック複合管エスロンRCP

ここで硬質塩化ビニル管とはひと味違った製品群(強化プラスチック複合管エスロンRCP、オメガライナー工法、クリーンパイプ、合成木材エスロンFFUなど)の軌跡についてのお話を。
塩化ビニル樹脂で大口径パイプをつくることはできるのですが、その大口径のパイプに一定の強度を持たせると、どうしてもパイプの肉厚が厚くなります。それだと重量やコストに問題が生じる。しかし大口径のパイプをつくりたい。
この課題に挑む中で積水化学の技術陣が着目したものの一つが強化プラスチック複合管。すなわちプラスチックの複合材料をガラス繊維のワイヤーで管軸方向と周軸方向に幾重にも強化する方法でした。
この強化プラスチック複合管の開発生産をめざし、滋賀栗東工場に設備を調えたのが1972年から1973年にかけてのことです。
その当時、開発を担当した男たちの一人が、ポリエステル樹脂、ガラス繊維、珪砂を電信柱(エスロンRCPの生産設備のうち回転するシャフトの愛称)に巻き付けながら、化学反応をともないつつ成形するというまったく初体験の製造方法に戸惑い、試行錯誤の中で開発を続けたのだが、はじめのうちはコストが高くて‥‥。 事業部や工場長からは二桁のコストリダクションを突きつけられるし‥‥」と昔を振り返るように、強化プラスチック複合管エスロンRCPの開発はコストとの闘いでもありました。その闘いの中で辿り着いた配合によってベンチマークから3割のコストダウンを実現。
また、それまで1日以上かかっていた現場での段取り替え(管種の切り替え)時間を大幅に短縮することや受口の製造工程改革によって生産能力を大幅に向上させるとともに、ネスティング(大口径の中に小口径を入れる運搬方法)や専用架台によって輸送効率の改善をはかることができたのです。
そして1974年、軽量で施工性に優れ、しかも水密性、粗度係数、強度に優れた強化プラスチック複合管「エスロンRCP」の発売にこぎ着けたのですが、発売当初は苦戦の連続。強化プラスチック複合管の先発2社が農業用水の市場をがっちりと抑えていて思うように販売実績が伸びなかったのです。
そこで下水道分野での需要開拓を目指すことに決め、同じ年の発売で下水道分野の注力商品であった卵形管EGPとのセットキャンペーンを実施したところ、1966年から埋め立てがはじまっていた神戸港沖の人工島ポートアイランドの下水道管にエスロンRCP、卵形管EGPともに採用されることになりました。
この話題性、注目度ともに抜群のポートアイランドでの採用よって強化プラスチック複合管の下水道分野進出の礎を築き、東京国際空港(羽田空港)や関西国際空港など全国各地の空港建設でも活躍。農水分野でも大きな市場を獲得できるようになったのです。
またシールド2次覆工や老朽管渠更生での施工性を高めるべく新飯塚土木と共同で開発したリフトイン工法は、パイプインパイプ工法を進化させたもので、カゴ型台車と一体化したバッテリーカーの開発により軌条設置の手間を省き、しかもシールドや既設管の断面を最大限に活用して更生管を布設することができるもので、強化プラスチック複合管エスロンRCP施工の工期短縮とコスト削減に役立っています。
さらに強化プラスチック複合管の流れの中から「エスロン らせん案内路式ドロップシャフト」を財団法人 下水道新技術推進機構と共同で開発。複雑かつ多様化する管渠の高落差処理の施工と維持管理の向上に大きな成果をあげています。
また、エスロンRCPによる下水道供用下でも施工可能な自立マンホール更生工法(既設マンホールの残存強度に関係なく自立更生させる工法)も注目を集めています。

関西国際空港でのエスロンRCP三連配管
関西国際空港でのエスロンRCP三連配管

電力・通信分野に防護管

1970年代半ばから都市計画にともなう地域環境との調和や社会資本としての蓄積といった面から電力通信ケーブルの地中線化が増えはじめたことを受けて、電力ケーブルの発熱による高温下(約60℃)での使用を想定した電力ケーブル防護管CCVP(ビカット軟化温度80°C対応)を発売(1979年)しました。
その後も障害物回避や三次元曲がりに現場で対応可能なフレキシブルな電力ケーブル防護管EFVPやビカット軟化温度83℃対応のAVP、東京都、関東地方整備局の新基準に対応したECVP。また通信ケーブル防護管としてNTT仕様のP-V管や共用FA方式に対応した高強度ボディ管、フリーアクセス管、C.C.BOXなどを開発して電力通信ケーブルの地中線化促進の一翼を担っています。
また、電力用SEライナー工法は、次に紹介する形状記憶硬質塩化ビニル管を電力用に開発したもので、劣化管路に電力用形状記憶硬質塩化ビニル管を挿入し、蒸気加熱により円形復元、非開削で新たな硬質塩化ビニル管路を誕生させるものです。

オメガライナー工法
オメガライナー工法

2000年にオメガライナー工法

さらに更生後に必要な流量確保の面でSPR工法が採用できない場合がある400mm以下の老朽管更生(通常のSPR工法では裏込めにより更生管と既設管を一体化するため、400mm以下では更生管径ワンサイズダウンの流量減が流量特性向上による流量増を上回り、更生後に必要流量を下回る場合がある)に対応するべく、ミレニアムの年(2000年)にUponor社の形状記憶塩化ビニル管による「オメガライナー工法」の技術導入に踏み切り、形状記憶硬質塩化ビニル管の配合から施工機械まで国内仕様に向けて大幅改良と取り組むことになりました。
そして2001年1月、JH西名阪自動車道の香芝インターチェンジを舞台にわが国初のオメガライナー工法による汚水管路更生を実施。同年3月には財団法人下水道新技術推進機構建設技術審査証明書を取得することができたのです。
このオメガライナー工法の特長は、既設管内にΩ状に畳んだ形状記憶硬質塩化ビニル管を引き込んだあと、硬質塩化ビニル管内に蒸気を送り込んで復元させ、既設管の内面に密着させるという工法からわかるように、工場品質に極めて近い品質を現場で確実に確保でき、また施工による臭気の発生もないなどで、それまでの小口径管路更生工法が抱えていた諸問題や飽き足らない思いを解消したもので、通信(SKライナー)、電力(電力管更生では耐熱性を要求されるため樹脂を耐熱グレードに変更したSEライナー)、農水、水道、プラントの各分野での施工に貢献しています。

DCプレートやクリーンパイプの開発

DCプレート開発のきっかけは、1982年、H製作所の磁気デスク工場から「透明で半永久的に性能の落ちない防電プレート。空気中の水分を吸っても導電性を帯びないプレートができないか」との相談があったことです。
一言で言えば、この世に存在しないタイプのプラスチックをつくれ、とのお話ですから一旦はお断りしたのですが、「すぐには出来なくても、このようなテーマとは取り組むべき」との声に押され、水無瀬研究所(1961年、中央研究所として大阪府島本町に開設。酸化反応や酢酸ビニルの動力学的研究、また塩ビモノマーの合成や塩ビおよびスチレンの重合研究などを担当)が開発に努めることになりました。
その年の暮れまでにサンプルができ、年明けには正式発注をいただきましたが、その頃は市販していたわけでもありませんので別段、新たな注文もなかったのですが、1年ほどが過ぎたころ、突然、M商事から大口の注文が舞い込みました。
時あたかも半導体が急発展を遂げようとしている時代。そのニーズに応えたことがDCプレートを大きく育てたと言えます。
DCプレートと同様、半導体工場向けの高機能製品の一つにクリーンパイプがあります。
つまりH2O以外の物質は一切含まない超純水用のパイプです。
言葉では簡単ですが、無鉛化した硬質塩化ビニル管(エスロンHIパイプは1971年無鉛化)でなければ微量ながらも重金属が溶け出す可能性がありますし、ステンレスパイプであっても内面に微細なヒダがあればそこに菌類が繁茂する場合があります。
つまりは重金属などの溶出がなくて、内面に微細なヒダがないパイプを開発できれば半導体生産に役立つパイプとなるということで、プラントメーカーの雄と言われる他社と手を携えて開発に取り組み、京都工場に残っていたミラータイプの金型を手がかりとして1983年、商品化に成功したのです。
このクリーンパイプ自体も半導体の高度化とともに洗浄温度の高温化に耐える耐熱性を求められ、HTクリーンに繋がるなどしました。

新幹線に用いられた合成木材FFU 山形新幹線
新幹線に用いられた合成木材FFU 山形新幹線

下水処理や鉄道まくらぎに合成木材FFU

積水化学が合成木材の研究開発と取り組みはじめたのは1969年のこと。
通産省(現経済産業省)が石油化学産業育成の一環として打ち出していた『合成紙・合成木材・合成蛋白』の重点育成策指定に呼応してのものでした。
当時、グループ企業の積水化成品が発泡スチレンを押出成形して杉の柾目状外観を持つ「新木」を販売。またABS樹脂を低発泡射出成形した類似木材などが市場に出回っていたのですが、いずれも構造材となり得るものではなく、プラスチックの物性を克服して「構造材として使えるものをつくる」ことが合成木材の開発目標になりました。
その開発にあたっては、連続長繊維強化によって物性を克服し、発泡によって構造材としての太さを得るとの方針を決め、熱可塑性、熱硬化性を問わず可能性のある樹脂を幅広く検討した結果、繊維への含浸性、量産成形の可能性などの点でウレタンが残りました。
そのウレタン樹脂で試作したガラスロービング強化ウレタン発泡体は、ウレタン特有の強い発泡力によりロービングが単繊維にまで分散されたオリジナルな構造体であり、そのテスト結果は、釘の保持力、切削科加工性など木材並みのもので構造材として十分な形状をも得られるものでした。あとは工業化ですが、物性試験用のモデルをつくることはできても、それを生産ラインとして実現するのは容易でありませんでした。
たとえばFRPの引き抜き成形に倣っての方法では、ウレタンの強い発泡力と粘着力が原因となって引き抜こうとしても筒状金型に貼り付いたままビクともしません。
いわば問題山積の状態だったのですが、それらを克服して亜鉛電解精錬工場の床板用にトラック二台分のガラス長繊維強化プラスチック発泡体「エスロンネオランバーFFU」を初出荷したのが1971年の秋のことです。

開発期間2年。まずは順風満帆のスタートでしたが、亜鉛工場からのリピートは再三あるもののその他からの受注はポツリポツリとあるだけで販路に苦戦しているうちに1973年からの第一次オイルショック。それまでの石油価格下落、木材価格高騰の図式が崩れ、コスト競争力を失う危機に立たされました。
そのような折りも折り、下水処理場の長さ5.2mの汚泥掻き寄せ板1000本の受注を得たことは、まさに干天の慈雨。
大河内賞や科学技術庁長官賞など合成木材FFUの発明に対していただいた“勲章”のみならず、価格だけではないFFUの機能に自信を深めるとともにその後の下水処理分野での需要を獲得するきっかけとなったのです。

新幹線に用いられた合成木材FFU-東海道新幹線.
新幹線に用いられた合成木材FFU-東海道新幹線
新河岸下水処理場のエスロンネオランバーFFU
新河岸下水処理場の
エスロンネオランバーFFU

また1978年、JR(当時、国鉄)の鉄道技術総合研究所の木材に代わる素材による枕木研究に参加。関門トンネルと新潟県の三面川鉄橋の2箇所で試験施工を実施。5年後に追跡調査を行ったところ劣化の痕が何もない。
これにはJRの皆様も驚き感心されて「耐用年数は50年以上。初期コストは木材に比べ割高だが15年以上使えば元が取れる」とのFFU相総合評価レポートを出していただいたことが、今日、新幹線や私鉄でご採用いただいている合成枕木の発展につながりました。
さらに土木の法面防護用の資材であるアンカー受圧板やシールド工法に使われる鏡板などの新用途も開発。
シールド工法の鏡板をFFUで代替するこの工法は、シールド機を直接発進到達させることができるもので「SEW」の名で知られています。
豪雨災害から施設を守る防水板として注目され、都市部での需要を伸ばしているU鉄工所の浮力式防水板(電力などの動力を必要とせず、水位に応じて自ら開閉)の構造材にFFUが採用され、浸水防止に役立っているのも最近のFFUトピックス(高潮対策としての防潮扉にも採用)の一つです。
またFFU発展のきっかけともなった下水処理の分野で忘れられないのが1998年、東京都が新河岸下水処理場に設けた地下神殿のような貯留型沈殿池の傾斜板として大量のFFU(当時の1ヶ月分の生産能力に相当する470m2)が使われたことも輝かしい歴史の1ページとなりました。

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