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小町も眺めた山吹の玉川[エスロンタイムズ105号]

環境省認定・平成の名水百選「玉川」(京都府綴喜郡井手町)

生け花になった山吹玉川の風情

 華道の花の生け方に「山吹玉川の景色」というものがあるそうだ。

 なんでも玉川の畔に咲き乱れる山吹風情を広口に写し取ったもので、白や黒の石を使って水清き玉川の流れをあらわし、蛇籠を用いて山吹の花を留めるとのこと。

 いかにも静やかで清らかな花の景色が目蓋に浮かぶのだが、残念なことにまだその生け花を見たことがない。

 その花の景色の元になったのが、日本六玉川(別注)の一つで京都府綴喜郡井手町を流れる玉川。平成の名水百選にも選ばれた名川で、「山吹の玉川」としていにしえの和歌に詠まれ、絵画にも描かれている。

水のある旅105

清らかな山吹玉川の風情

 この井手の玉川が「山吹の玉川」と呼ばれるようになったのは、奈良時代、聖武天皇の片腕として活躍した橘諸兄の屋形がこの地にあって、その屋形の庭に玉川の水を引き入れるとともに、水辺に山吹の花を植えたのがはじまりとのこと。
 
 その山吹が玉川の河畔に広がって咲き誇るようになり、いつしか山吹が井手の地の枕詞にまでなったのである。
 

桜並木と山吹が彩る玉川堤

 桜の春にはまだ遠い一月半ばのこと。

 藤原俊成が「駒とめてなほ水かはん山吹の花の露そふ井手の玉川」(新古今集)と詠み、この地にあった井堤寺(いででら)で老いらくの身を棲み暮らしたといわれる小野小町が「色も香もなつかしきかな蛙鳴く井手のわたりの山吹の花」(小町集)と詠んだ、その「山吹の玉川」を訪ねるべくJR京都線の玉水駅に向かった。

 その山吹の玉川は玉水駅のすぐ近くを東西に流れていた。

 流れの先で木津川にそそぎ、やがて淀川と一つになって大阪湾で海の水となる玉川を遡りながら「山吹玉川」の元となった橘諸兄の屋敷跡をめざす。

 この井手の玉川。昔は随分と川筋を変えた川のようなのだが、今は両岸の土手を埋める見事な桜並木の間を静やかに流れている。

 その川面に枝を垂れる桜の間に山吹、また山吹。

 桜の頃ともなれば、その花の下を黄金に染めて山吹の花が咲き乱れ、さぞかし見事なものであろうと、やがて来る春の景色を思い浮かべながら、土手沿いの道を登りつづけて橋本橋の袂まで。

 この橋を南北に渡る道が山背古道(やましろこどう)。京の都と奈良の都を結んで、古人が往来した古い道である。
 

山背古道脇の竹林に諸兄の碑

 その古道を南に曲がって奈良に向かいながら、「いにしえの奈良の都の八重桜 けふ九重に匂ひぬるかな」と詠んだ伊勢大夫に縁の桜の献上人たちも、この道を歩いたのかと思ったのは土手の桜や山吹が咲き乱れる頃の見事さに心とらわれていたからだろうか。

 やがて橘諸兄公旧址の道標。その道標に従って竹林の中の坂道を登る。

水のある旅105

竹林の高台にある橘諸兄公旧址の碑

 山背は奈良の都の背中というほどの意味だそうで、都が京都に遷ってのち、背中ではおかしいというところから山城の文字をあてるようになったとか。

 その京都山城の銘産「山城のタケノコ」を思い浮かべながら火山灰が降り積もった土地だという竹林の中の坂道を登り切ったところに屋敷跡といわれる旧址の入り口。

 先程の橋の袂からなら0.6kmほどであっただろうか。

 その橘諸兄公旧址の大きな石碑を眺めながら風雲児のごとく朝廷随一の臣に駆けのぼり、露が落ちるがごとく歴史の舞台から消え去った橘諸兄一族の昔に思いを馳せた。
 

山吹の里を見晴らす小町の墓

 その屋敷跡から山背古道に戻って小野小町の墓に向かう途中、橋本橋の袂まで戻った所で、ふと、もう少し上流まで歩いてみたくなり、玉川沿いの道に足を踏み入れたところで、「どこに行くのか? この先は行き止まりだよ」と後ろから車でやってきた人が声をかけてくださった。

 その地元の方との立ち話で、五十年ほど前に昔の大正池が決壊して玉川沿いを濁流となって押し流し、四百人を超える方々が犠牲になられたと聞いた。

 今、のんびりと辿ってきたばかりの静かな川の景色からは想像もつかないその話に胸を痛め、あの見事な土手の桜がまだ五十年なのかと驚きながら橋の袂に戻って山背古道を京都に向かい、ちょっとした丘を登ると、広い道を越えたところから閑静な住宅地。

 はて道を間違えたかと思う間もなく古道の端に小町の碑。何方かの住宅の前庭に食い込むようにして大きな石碑と小さな墓があった。

水のある旅105

山背古道の脇にある小野小町の碑

 その小町の晩年は謎に包まれており、この地のほかにも小町の伝承を伝える地があるのだが、京の都の随心院ともつながる山背古道の脇にあって山吹の里を見晴らすこの場所なら、小町の御霊が眠るのにいかにもふさわしいと思った。
 

小町も暮らした橘諸兄の菩提寺

 そこから広い道に戻って玉水駅の方に戻りながら歩くと、道の端に公園の休憩所のような建物があった。

 そこに橘諸兄が御母堂の菩提を弔うべく建立したという井堤寺柱跡の記念碑。

水のある旅105

井堤寺柱跡の記念碑

 かっては七堂伽藍を備えた大寺であったともいうが、井手町教育委員会の文化財ご担当の方のお話だと、橘諸兄一族の没落ののち、この地から姿を消して、なんの図面も残っていないとのこと。

 だが、遥かに北の畑の隅で発掘調査が行われているのを見せていただくと、おそらくは200mもつづいていたのであろう築地塀と溝の跡が畑の土の30cmほど下の地層から顔を覗かせていた。

 小野小町が井手の山吹に惹かれ、この寺に寄寓していた頃なら七堂伽藍も揃っていたのであろうかと思いつつ、再び玉川の土手沿いの道に戻って下ると、玉水駅のすぐ近くにかっての木橋を思わせる歩道橋が川に架かっていた。

 十年ほど前までなら本物の木橋が残っていたそうなのだが、町の発展とともにコンクリートの橋に掛け替えられたそうで、そのことを少しは残念に思っていた旅人の我が侭な思いを、その「やましろ歩道橋」の佇まいが見事なまでに満たしてくれた。

水のある旅105

桜並木と山吹が連なる井手の玉川

 

日本六玉川
  • 宮城県多賀城市にあって能因法師の歌に詠まれた「野田の玉川(千鳥の玉川)」
  • 東京都調布市の辺りにあって浮世絵の題材となった「調布の玉川(晒布の玉川)」
  • 滋賀県草津市野路町にあって源俊頼の歌に詠まれた「野路の玉川(萩の玉川)」
  • 京都府井手町にあって山吹が歌枕にまでなった「井手の玉川(山吹の玉川)」
  • 大阪府高槻市にあって芭蕉の句に詠まれた「三島の玉川(卯の花の玉川)」
  • 和歌山県にあって高野山の奥の院を流れる「高野の玉川」

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