湯船の水[エスロンタイムズ97号]
環境庁認定名水百選 小豆島「湯船の水」
香川県小豆郡池田町
小豆島の霊地に湧く名水 絶えない水が潤す千枚田の景観
<蓮華寺境内にある湯船の水>

瀬戸内海国立公園に浮かぶ小豆島は、日本の三大渓谷美の一つに数えられる「寒霞渓」や郷土作家・壷井栄の名作「二十四の瞳」でも知られる風光明媚なところ。
周囲126kmほどの小さな島だが、古事記の国生み神話に小豆島の名が登場するほど古い歴史と文化をもち、島や山影を頼りに航海する昔にあっては瀬戸内海運の要所ともなっていた。
ただ、古事記の昔にはアヅキシマと呼んでいたようで、小豆島がショウドシマになったのは鎌倉時代の頃とのこと。
そういえば日本書紀の記述に「淡路島に御狩にでられた応神天皇が吉備の国から阿豆枳辞摩に遊びたもうた」との一節があり、ここでもアヅキシマと呼んでいる。
この御幸の伝承と史跡が今も小豆島の各地に残っており、応神天皇お手植えと伝えられている「宝生院のシンパク」(土庄町)もその一つ。
国指定特別天然記念物ともなっているこのシンパク(柏槙属の樹で盆栽として好まれる真柏と同じ種類か)は推定樹齢ゆうに千数百年。根回り16・6mという堂々たる巨樹で、西暦300年前後に在位されていた応神天皇のお手植えというのにふさわしい風格を漂わせている。
その応神天皇御幸の足跡を辿って神懸山(寒霞渓)や島内の神社を旅するのもいいが、こちらの目的地は小豆島中央部の山岳地帯・湯船山の山腹にあって昭和60年、環境庁が名水百選の一つに認定した「湯船の水」(湯舟の水とも)。
山肌急峻な小豆島にあって、太古の昔から絶えざる清水を湧かせるこの名水を味わうべく小豆島・池田港から湯船山へと向かった。
千枚田を潤す湯船の水
旅の出発点とした池田港は、四国の高松港とフェリーで結ぶ小豆島観光の玄関口の一つ。その港から国道436号線を東に向かい、池田中学校前バス停を越えてモータースの看板の手前のT字路を右折。そのまま山道に車を走らせ殿川ダムを越えたところで橋の向こうのY字路を右に入ると、その先に綿々とつらなる棚田(農林水産省「日本の田百選」にも指定されている千枚田)が広がっていた。
名水百選「湯船の水」の定義は、湯船山中腹の湧き水。この見事な棚田を潤す水が、湯船の水の名水なら道端の澄んだ洗い場の水もまた湯船の水なのである。
だから湯船の水というのなら、あちらこちらの棚田や洗い場を見て回ってもいいのだが、欲張りなの旅行子としては湯船の水を象徴するような湧水風景もみたい。
それで山あいの炭焼き小屋を行き過ぎるほど奥に進み、道が下りとなったところで源泉探しを諦めて引き返したあと、青々と稲が育つ棚田の手入れをされていた御婦人に「蓮華寺は」と尋ねると、「あちらに」と隣りの峰の青葉の中に見え隠れする甍を指さされた。
「このわき道からも行けますが、車なら一度Y字路の手前まで戻ってからの方が」との親切な教えに従って道を戻り、湯船の水を霊水として敬っているという蓮華寺を目指した。
教えられた朱塗りの小橋を渡って舗装路を曲りながら登ると「日本名水百選 湯舟山蓮華寺」と掘られた真新しい石碑。その脇の石段を昇り、古びた石灯籠の間を進むと鬱蒼とした木立に抱かれて、いかにも鄙びた堂宇があった。
山腹に張り付いたような蓮華寺の境内から眺める棚田の眺望は、青々とした棚田と遠くの山影が織りなす妙なる味わいがあって、なんとも見事なものであった。(写真の風景)
<蓮華寺境内から見眺める千枚田>

その景色に見とれたあと、秘仏の千手千眼観世音菩薩を祀る仏堂に手を合わせ、境内の奥の霊水に向かうと、何匹かの龍の口から石組へと水が流れ落ちていた。
柄杓をとって口に含むと、やわらかな水の味。無味無臭の滋味が広がる。
<湯船の水の水汲み場(蓮華寺)>

この寺は、かって高壷山千手院蓮華寺と号していたが明治に一度、廃寺となったあと湯舟山蓮華寺となったもので、今から約二百年前に島民の医師毛利玄得、修験者金剛院玄空、庄屋の池田重太の3名が開創したという島四国霊場(小豆島霊場)の44番札所でもある。
境内の縁起をみると、「役行者開祖の小豆島修験発祥の地」「行基菩薩発見の霊水」「秘仏の胎内仏は佐々木信胤の兜の八幡座の守護仏」などの文字が並んでいた。
行基菩薩の足跡は島四国霊場の随所にみられるが、さて佐々木信胤とは縁起を眺めて首をひねっていると、「星ヶ城の城主ですよ」とお参りに来られたらしい地元の人が教えてくださった。
星ヶ城といえば寒霞渓の近くにあって小豆島の最高峰・星ヶ城山(817m)に残る南北朝時代の山城の跡なのだがと、尚もの問いたげな旅行子の様子を察したのか、「佐々木信胤は吉備児島の領主で海賊の頭首。その信胤と湯船の水の顛末は」と池田町史や小豆郡誌にも載っているという話を聞かせてくださった。
南北朝の歴史にみる湯船の水
そのお話によると、ことの起こりは南北朝のはじめ、北朝方の細川定禅の求めに応じて京都を攻めた信胤が、どのようなことからか尊氏の権臣、高師秋の愛人・お妻の局を奪って尊氏らと揉め、それならと南朝方に身を転じたこと。
そうなると元々が海賊の名家であった信胤だけに児島の対岸にある小豆島の最高峰・星ヶ城山に山城を築き海運の道を絶つ作戦にでた。(1339年)
だが、熊野水軍とも手を結んで北朝方を悩ませた信胤の奮戦も虚しく8年ののち、阿波・淡路・讃岐・備前4ヶ国の大軍を率いて攻め来った山名師氏(師氏もまたのちに褒賞を巡って足利氏と争い南朝方となる)との一ヶ月に及ぶ合戦の末、北朝方の軍門に降った。
この戦いの間に島を襲った干ばつ、飢饉の危機を湯船の水が救ったことから信胤が仏堂を建立し、湯船の水を霊水として敬ったという。
本尊の胎内仏が信胤の兜の守護仏なら、この寺が信胤建立の仏堂という可能性が高いのだが寺の縁起はそこまで記していないし、凡なる身に秘仏の声が聞こえるわけもない。
再び境内の石組みに流れる水を酌み、信胤が活躍した南北朝のころから拓けたという千枚田を眺めながら『この寺が湯船の水の象徴となるなら、また一つ小豆島の観光スポットが増えるのに』などと思ったのも、これまた凡夫のなせる技だろうか。
それはさておき、樹木鬱蒼とした寺で味わう水の味も境内から眺める棚田の景観も格別のもの。小豆島を訪れて寒霞渓などを旅される折りには、池田港から車で20分ほどのこの地・湯舟山蓮華寺に立ち寄られることをお勧めしたい。

